遊ぶ人、として関わる私の立ち位置|叔母という距離で見えてくること

 遊ぶ人、としての立ち位置

メイッコにとって、私は「遊んでくれる人」

なのだと思います。


一緒に過ごす時間の中で、

そう感じる場面が増えてきました。

これまでは、こちらから抱っこすることはあっても、


メイッコのほうから「抱っこ」と言ってくる

ことはありませんでした。


それが先日、手を伸ばしながら「抱っこ」

と言ってきてくれて。


言葉が出たことも、その距離の変化も、

どちらも成長だなと感じました。

一緒に遊ぶときは、


私が何かを決めるというより、


メイッコの動きを見て、行った方向に

ついていく感じです。

おもちゃを渡すことはしますが、


遊び方を決めたり、

こうしてほしいと言ったりはしません。


危なくなければ止めないし、


片付けも「片づける」ではなく


「これを袋に入れて」と声をかけるくらい。


完璧にできなくても、それでいいと思っています。

自分の子どもではない分、


私の思うようにしたらだめだな、

という気持ちはいつもあります。


できるだけ、メイッコのやりたいことを尊重したい。

そんな立ち位置で、一緒に過ごしています。


 一歩引いている時間

何もしないで見ている時間も、あります。


それは、姉の旦那とメイッコが

関わっているときです。

私がいる時間帯に、

姉の旦那がメイッコとしっかり関わるのは、

姉が疲れて少し休んでいるときくらいで、

そのときは『お父さん来たよ』と

声をかけるだけにしています。

また、二人で


子どものことについて話したり、


何かを決めたりしているときも、


私はなるべく入らないようにしています。

二人で連携を取っている時間には、


私は少し離れたところで見ている。


そのほうがいいな、と思う場面があるからです。


 それでも関わっている、という感覚

母親ほど深く関わっているわけではありません。


それでも「関わっているな」と感じるのは、


メイッコと1対1でも、


おむつ替えや遊びが特に問題なく

できているときです。

姉夫婦が家にいるときも、


「あなたがいるとすごく楽だよ」と

言ってもらえることがあります。


自分がいなくても生活は回るけれど、


いると少し楽になる存在でいられたらいいな、

と思っています。

家の空気の変化は、正直よく分かりません。


でも、行くたびに部屋の模様替えがされていたり、


メイッコが違う言葉を話せるようになっていたり、


動きが前より活発になっていたり。


成長だけは、はっきりと感じます。

メイッコの成長を感じられることがうれしくて、


姉たちに歓迎してもらえるのもうれしい。


この立場だからこそ、気楽な部分もあるなと思っています。

関わりすぎないようにしているけれど、


ちゃんと大事には思っている。


この距離で関われる時間は、今だけかもしれない。


最近は、そんなふうにも感じています。

姉の家に通う生活を続けるうちに、


仕事を早く終わらせたいと思う日が増えました。


それも、この立場で関わっているからこそ


生まれた気持ちなのかもしれません。

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